サウルの息子 監督:ネメシュ・ラースロー

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☆☆☆☆☆☆☆☆☆★(9点)
第二次世界大戦末期、1944年10月のアウシュビッツ=ビルケナウ強制収容所が舞台。主人公はハンガリー系ユダヤ人のサウルで、ガス室でユダヤ人の死体処理を仕事とするゾンダーコマンドだ。じぶんたちの手を汚したくないドイツ人は、ユダヤ人の中から選抜したゾンダーコマンドたちに汚れ仕事をさせる。そして定期的に彼らをも殺して入れ替えをすることで、証拠隠滅をしている。紙の所有は厳禁で、むろんカメラなどもってのほかだ。サウルはまるで機械のようになって仕事を淡々とこなしていくが、ガス室で死にかけた少年をみかけたことで、まるで生きる理由をみつけたかのように一変する。その少年はサウルの息子だったからだ。とはいえ、ほんとに息子かというとかなりあやしく、仲間からはおまえに息子なんかいないだろうと言われていた。少年はサウルの息子だったのかどうか。ともかくサウルは少年の遺体をきちんと祈祷して埋葬しようと躍起になる。取り憑かれたようで、正気じゃない行動をくりかえす。まず祈祷するにはラビを見つけださないといけないし、遺体は無傷でひきとる必要がある(毒ガスでわずかでも生き残った遺体は解剖されるらしい)。ドイツ兵の目を盗んで遺体を埋めることなんか不可能に近い。じぶんの命を早めかねないし、ほかのゾンダーコマンドの命も危険にさらす行為だ。サウルがぎりぎりの精神状態であるのは死人のような顔色からもわかる。栄養は足りてないし、同胞の死体を片づけ、ドイツ兵の顔色をうかがい、同じように荒んだ精神状態のゾンダーコマンドたちとの生活を送っている。そんな状況下で、少年がガス室で一時的に生きのび、すぐに死んでいく様子をみてしまったことが、サウルの中にある何かを強く刺激したのかもしれない。守ってやるべきものでありながら、未来でもあり、じぶんの命よりも尊い何か。ほかのゾンダーコマンドたちはじぶんたちがいずれ殺されるのをわかっており、どうせ死ぬならと蜂起を企んでいる(あるいは万に一つの可能性にかけて逃亡したい)。こちらのほうが常識的というか普通の反応なのだろうが(実際は抵抗する気力さえないのが本当かもしれないが)、サウルが少年の正式な弔いにこだわったのも根は同じような気がする。サウルにとっては蜂起してドイツ兵に一矢を報いることや逃げることはどうでもいいことだった。ゾンダーコマンドという同胞から蔑まれるような仕事を数ヶ月も続けてきて、サウルには少年を正しく弔ってやることは何よりも優先すべきことだった。数秒後に命がどうなっているかもわからない極限の世界で、サウルはある意味動物的に一途に生きていた。

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