☆☆☆☆☆☆☆☆★★(8点)
アニメーション産業が貧弱といわれる台湾からついに生まれた長編アニメーション映画、ということらしいが、たしかに台湾のアニメーション映画をみるのは初めてだ。監督のソン・シンインは実際に台湾の原住民アミ族の祖母を持っているそうだが、チーと祖母の交流みたいなことは全然なかったようだ。だからアミ族の文化のようなものは控えめに描かれ、大人になったチーがそれまでの人生をふりかえり、過去を思い出すのにめいっぱい妄想を広げるのに、アミ族の祖母の特異性が一役買っている。話はシンプルで普遍的だ。こどものときになりたかった大人に全然なっていない。大人になると仕事やら趣味やら何やらで忙しく、そういうことをふりかえる暇はないのだが、チーはアメリカでの生活に疲れて故郷にひさしぶりに帰ってくるというきっかけがあった。両親は年老いて、町もずいぶん変わり、こども時代のなつかしい友人との再会がある。ノスタルジーに浸る材料はたっぷりなのだが、これまでの人生に成功したとは言い難いチーに、甘い郷愁に浸るような余裕はなかった。なにしろ妊娠しており(両親には隠している)、離婚を協議中のアメリカ人の夫のこともある。このまま故郷の台湾に住もうかとも思うが、仕事はどうするのか、ほんとうに離婚してシングルマザーとして生きていくのか、などもやもやする問題ばかりだ。チーはいつも疲れていて覇気がなく、年老いた両親の現状や祖母の死にあたふたしている。それにひきかえ、こども時代のチーは元気そのもので(奈良美智が描く少女のよう)、無敵な感じがするほどだ。そんなこども時代と大人時代の対比が映画の中で何度もくりかえされるので、みているほうもだんだん揺さぶられ、大人のチーと同じようなノスタルジーにひきこまれていく。チーの人生とじぶんの人生とはまったく別物なのに、すごく似ているようにも感じられてくる。形は全然違えども、体験の種類やそれらから引き起こされる感情といったものは、きっと共通するところがたくさんあるのだろう。ラストのほうはチーはもやもやを脱皮して幸せになるが(両親と暮らし、故郷でこどもを育てている)、「永遠なんてものはないんだよ」といったことを祖母(妄想)がちくりと言う。祖母は別に人の幸せに水を差したかったわけではなく、だれもが知っておくべき、きわめて本当のことを大事な孫に知らせたに過ぎない。人は時としてそんな当たり前のことを忘れてしまうから。